寛容するのであり

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寛容するのであり

くわえ煙草伝兵衛は暗い捜査室に一人いて、受話器をにぎりしめていた。
「はっ、警視総監殿でありますか」
 ――はっ、はい、もしもし。え? なんだって。
「私、私であります。警視庁捜査一課、木村伝兵衛部長刑事であります」
 ――え? でんべえ?
「はっ、すこぶる快調であります」
 ――おい、起きろアキ子。故郷の親父から電話らしいぞ。――え? おとうさんから? なあによ、こんな夜中に。――何があったのかな? ――はい、電話かわりました、アキ子で

すが。
「ほう、とうとうシングルになりましたか。私なんぞは、寄る年波に負けまして、とんといけません」
 ――なによ、あんた。――おいなんだよ、おふくろでも死んだのかな。……しかしさ、でんべえなんて、おまえの親父も変な名前だな。
「はあ、相変わらず、帰りが遅いとこぼしております。……ふつつかもので……いやあ、もらい手などありませんよ。気ばかり強くて、なにぶんよろしく。はっ、はっ、いや、ごもっと

もで。……また、ご冗談ばっかり」
 ――あんた何言ってんの。どこに電話してんのよ。キチガイ!――どうしたんだ、おい、親父、気でも狂ったのかよ。――何言ってんのよ、あんた、もう。まちがえたのよ。
「はっ、それでは慎んでご報告させていただきます」

 それは街角の喧噪《けんそう》であった。
 すべての孤独が喧噪の中ではじめて息づくように。
「今回熱海署から不肖私、木村伝兵衛めをば特に名指しの依頼ではありましたこの殺人事件は、工員、女工、熱海、腰ひも、とたわいもない類型として葬り去るものとすれば、なんらや

ぶさかなしとすることでございます。がしかし、今日的に三面記事にもなり得ない情況を担っているからこそ、翻《ひるがえ》って私は、この事件を、日本犯罪史上特筆すべきものと明

察し、その行間にかいま見せている切実な市民構造を、われわれは毅然《きぜん》たる志を持って見すえるべきではないかと、かように考える次第です。はからずも戦後三十年の社会状

況のひずみをぬって現出した憂うべき必然とはいえ、民族の衷心《ちゆうしん》からの声なき叫びに、私はしのびようもない哀切をもって耳を傾けざるを得ません。ムルソーの一発の銃

声が、その硝煙によってでしかあまりにもまぶしすぎる太陽と訣別《けつべつ》でき得ない現代人の苦悩をさし示しているものとすれば、それを嘲笑《ちようしよう》するかのごとく、

今回の熱海殺人事件は、死ぬべくしてその役割を全《まつと》うすべき、山口アイ子はどこにもあらず、大山金太郎を犯人と仕組むいかなる構造をも、日常に還元することを許さないの

であります。巷《ちまた》に喧伝《けんでん》されておりますように、犯人が被害者をあやめる必然はこのばあい、まったくうかがい知ることはできないのであります。私は今回の出来

事を殺人と名づけることさえ躊躇《ちゆうちよ》し、事件としてかこいこむ傲慢《ごうまん》さに赤面せざるを得ません。あまりにも太陽がまぶしすぎるという言葉の潔さのため、われ

われはムルソーを、周知のごとくだれもがこの必然を信じていず、むしろそう思いめぐらすことでしか自らを律し得ない状況を、みごとに顕在化させたためでございま

しょうが、熱海殺人事件はそのギマン性を切実な小市民的性格を逆手にとり、熾烈《しれつ》に告発しているのであります。警視総監殿、日本は今大きく病んでおります。この街々の喧

噪はいったいなんでありましょう。この悲劇のいかんともしがたい健康すぎる生きのびようは、いったい何なのでありましょう。姑息《こそく》な市民の生きのびように、不必要な要素

をとり去るために、法律を作動させ犯人を仕立てあげる私は、自らの責務を憂えております。時代は薄く夕暮れをひいて、闇の絶えた街頭に、しのぶ術なくたたずんでおります。明日を

味わうようにして祈っております。はっ、私ですか、ご安心あれ警視総監殿。私はいま煙草に火をつけようとしたところであります」
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